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2012年02月11日

アサヒビール

1889年(明治22年)創業。1949年(昭和24年)の大日本麦酒株式会社の分割により設立。


大日本麦酒の分割は、同社を主要ブランドであるアサヒビール(西日本で販売)とサッポロビール(東日本で販売)に分割する形を取ったが、この分割を推進した大日本麦酒の山本為三郎専務が朝日麦酒の初代社長に就任したため、様々な憶測を呼んだ。山本は大日本麦酒に合併された日本麦酒鉱泉の出身であり、その同社から継承した商品でかつ全国ブランドとして知名度のあったユニオンビールと三ツ矢サイダーの2銘柄を朝日麦酒が継承した他、戦前大日本麦酒は設備投資を西日本に集中して行っていたため、その結果最新鋭設備の殆どが朝日麦酒の帰属となっていたのがその主な理由であった。



大阪麦酒が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランドの由来については諸説あるが、創業者・鳥井駒吉の出身地である堺市に縁のある以下の説がよく知られる。なお、設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。

アサヒスーパードライ
1987年3月発売。「辛口(KARAKUCHI)」を前面に出し、日本のビールの味を変えた製品とも言われる。日本のビール類で、唯一年間販売量1億箱(1箱=ビール大びん20本=12.66リットル換算)を超え、2008年には350ml缶に換算して発売からの累計出荷総数が1,000億本を突破した最大のブランド。競合他社が発泡酒や、いわゆる新ジャンルなどの分野にシフトしたこともあり、税法上のビールでは、過半数のシェアを占めている。使用酵母・発酵技術を改良して発酵度合いを高め、糖度を低くし、麦芽以外の副原料(米、コーン、スターチ)の比重を比較的多めにし、更にアルコール度数を当時主流の4.5%前後よりやや高い5.0%としたことで、いわゆる「ドライ・辛口」な味に仕上げた。
スーバードライがヒットした後、1988年に競合他社も一斉にドライビールを発売し、当時の通常新商品と比べ高い売上を記録したが、自社内の他商品と競合状態となったことや「ドライビール=アサヒスーパードライ」のイメージが消費者にて形成されていたことで、他社がドライビールを宣伝しても客は元祖のアサヒに流れてしまい、逆にスーパードライの躍進に拍車をかける結果となった。「生ビールNO.1アサヒスーパードライ」のコピーが影響し、キリンラガーは1996年に非熱処理化(生ビール化)が行われたが、翌年の1997年にはキリンラガーが前年まで45年間保ってきた年間首位銘柄から転落し、新たにスーパードライが年間首位銘柄となった。1990年代以降モルソン(カナダ)・青島ビール(中国)などとの合弁で日本国外展開も進められている(詳細はアサヒスーパードライ#日本国外展開を参照)。「こんなものはビールではない」というアンチ派も日本国内外[注釈 3]ともに決して少なくなく、良くも悪くも日本のビールを代表する製品である。2007年には「スーパードライ」発売20周年を記念して、350mlのスリムボトルも期間限定で発売された。沖縄県・鹿児島県奄美群島向けの一部は2003年5月よりオリオンビール株式会社に製造・販売を委託している。



アサヒ黒生(黒ビール)
いままでの黒ビールは「苦味が重い」イメージがあったが、独自の製法で黒ビールとしてはすっきりと軽くて飲みやすく、なおかつキレのあるタイプの黒ビールに一新、「アフター9のビールです」の宣伝文句でベストセラー商品になる。
アサヒスタウト(スタウトビール)
戦前から発売されている非常に息の長い商品で容器は瓶のみ。同社商品において熱処理製法とラベルにCI導入前のシンボルマークを唯一採用している。

アサヒプレミアム生ビール熟撰
こだわりの素材を丁寧に仕込み、長期熟成させた。深い味わいと上質な香りが堪能できる。キャッチコピーは『お店でしか、出会えないビールです。』、2008年からは『一杯目の感動が、二杯目も色あせない。』。飲食店などの店舗を中心に、一部酒類取り扱い店舗でも販売されている。味の幅に広がりをもたせるため、米とスターチを副原料として使用している[13]。このようなことはプレミアムビールでは珍しい。これまでは市販商品に中瓶(500ml)・小瓶(334ml)とギフト用に限り缶ビール(350ml)の設定が行われたが、2008年3月11日には一般向けに缶(250ml・350ml・500ml)の発売が開始された。



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2012年02月10日

キリンビール

1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バレー・ブルワリー(コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業である。


「麒麟(キリン)」という名前の由来については諸説あるが、当時の記録によると、幹部の荘田平五郎の提案によるものであることが分かっている。
「麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、縁起が良いとされており、命名当時、海外のビールで、動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという説がある。また、創業者コープランドの親しい友人の名前である「カリン」から来ているという説もある。



「麒麟ビール」発売時に導入された初代ラベルは、朝陽を浴びて、駆け出そうとしている麒麟であった。スプリング・バレー・ブルワリー社時代に製造したボックビール(果実のような芳香や麦芽の風味を重視した高濃度のビール)のシンボルマークの山羊をヒントに、中国の聖獣「麒麟」を組み合わせたという説がある。
その後採用されたデザインは、1889年(明治22年)にグラバーの提案(彼は太宰府天満宮にある麒麟像を気に入っていた。)でデザインされたと言われているもので、現在のラガービールやクラシックラガーのラベルデザインの原型となった。戦中を除いて現在まで受け継がれている。
ビールや一部の清涼飲料のラベルに用いられている麒麟の絵の中には隠し文字、カタカナの「キ」、「リ」、「ン」の文字がデザインされている。同社によると隠し文字の発祥は「当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説」と「偽造防止説」があるが明確な理由は関東大震災で資料を紛失したため不明であり、導入された時期も不明瞭であるが大正時代の商品ラベルの一部には導入が確認されている。



キリンラガービール
同社の基幹商品であり、他社が熱処理をしない生ビールに移行する中で、伝統の「熱処理醸造」にこだわりつづけていたが、1996年(平成8年)2月以降からは熱処理醸造を用いない生ビールとなっている。アルコール度数は5.0パーセント。
1980年代後半に発生したドライ戦争の影響で急務となった同社のビール事業戦略見直しの一環として、1988年(昭和63年)6月に「キリンビール」の個性を明確化するため「キリンラガービール」に名称変更を行い、1989年(昭和63年)2月にラベルの表記も変更している。
名称となっているラガーの本来の意味は「熱処理醸造」ではなく「熟成」(下面発酵で醸造されるビールのスタイル)であり、生ビール切替の際に同社はこの点を強調して説明しており、誤解されないように広告やラベル裏面にも表記し周知徹底を図っていた。
1996年(平成8年)までの45年間、首位銘柄を保っていた。ブランド別ビール類販売数量順位において、2008年第5位(ビールに限定すると3位)、2009年上半期第7位(ビールに限定すると4位)。
缶のデザインは不定期で刷新されているが、瓶のラベルは1957年(昭和32年)に現行のデザインの原型を完成させ、1984年のCI導入(ラベルの変更は1987年[16])、1989年の商品名変更[17]を経て、1994年の瓶・缶のデザインの統一の際に、現在のデザインに変更されている。その後外周部の文字変更はあるが2011年(平成22年)7月現在でも同じデザインを継続している。
1998年(平成10年)には110周年記念として、1社提供のバラエティ番組「タモリのネタでNIGHTフィーバー!」のみ、当日限りの60秒バージョンのCMを流したり、ラベルの復元バージョンのプレゼントを行った。
2010年(平成22年)2月中旬に味覚のブラッシュアップ(例・ホップの使用量の増加と投入時期の最適化など)を行い、缶製品のみ佐藤可士和による新デザインに変更。

キリンクラシックラガー
昭和40年代頃の「キリンビール」(当時名称)の味を再現した、昔ながらの熱処理醸造ビール。2001年(平成13年)7月より発売。アルコール度数は4.5パーセント。

キリン一番搾り生ビール
一番麦汁だけを使ったビールで、ドライ戦争以降の主力商品となった。ブランド別ビール類販売数量順位において、2008年第3位、2009年上半期第3位。アルコール度数は5.5パーセント。2009年(平成21年)3月のリニューアルで麦芽100%のオールモルト生ビールに変更され、アルコール度数は5パーセントに引き下げられた。





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2012年02月08日

サッポロビール

サッポロビール株式会社は、日本を代表するビールメーカーのひとつ。明治9年 (1876年)に政府の開拓使が北海道札幌市に開拓使麦酒醸造所を設立し、そこで作られた「冷製札幌ビール」が社名の由来とされている。



サッポロビールのラベルに描かれている星は北極星(ポラリス)を表し、前身の開拓使麦酒醸造所を保有していた北海道開拓使の徽章であり、サッポロビールとなったあとも使用が続けられ、同社の伝統となっている。
現在のサッポロビールは、2003年(平成15年)7月1日に当時のサッポロビール株式会社(同日付でサッポロホールディングス株式会社と商号変更)の会社分割により設立されたものである。



主な商品
サッポロ生ビール黒ラベル
同社の主力商品。『できたての生ビールのひと口目のうまさ』を思わせるバランスの取れた味わいが特徴。金色の星(北極星)がシンボル。ブランド別ビール類販売数量順位において、2008年第6位、2009年上半期第5位[4]。2011年3月上旬より、旨さ長持ち麦芽を一部採用している。
サッポロ生ビール黒ラベル 東北ホップ100%
2011年10月16日より限定発売。東北産ホップを100%使用し、爽やかさを強めた。2009年より東北6県(青森県・岩手県・秋田県・山形県・宮城県・福島県)限定発売を行い、2011年は東日本大震災の復興支援を目的に、全国販売となった。
サッポロラガービール
日本のビールメーカーでは数少ない「熱処理」によるピルスナー系ラガービール。赤色の星がシンボル。中瓶、大瓶のみが存在し飲食店中心の販売であるが、販売店によっては個人向けに販売をすることもある。2008年(平成20年)9月、約30年ぶりに缶入り(350mlと500ml)が期間限定で復活販売された。
業売店・飲食店・愛飲家からの通称は、そのラベルにちなみ「赤星」。近年では公式サイトにおいても、その通称を認めている。好評につき2009年9月〜10月に再度缶入り製品の限定生産販売が行われた。
サッポロ冬物語
日本初の冬季限定ビール。最初の発売は1988年である。1996年までは発売時の味を維持していたが、その後は数年ごとに味の変更を行い、2005年より原材料に米、コーンスターチ含から麦芽100%に変更された。初期は缶と瓶の平行販売だったが中期以降から缶のみの販売となる。
2008年 - 2009年シーズンまでは毎年販売されていたが、2009年は発売されず、2010年に炭焼き麦芽を一部使用するリニューアルを行い、2年ぶりに発売した。2011年版は2008年以前と同様のピルスナーに戻っている。




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2012年02月06日

ポーター(ビール)

映画『タイタニック』の中で、レオナルド・デカプリオが愛飲するのが、アイルランドのビール「ポーター」。



『タイタニック』(Titanic)は、1997年のアメリカ映画。1912年に実際に起きたタイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いた映画。
1912年、処女航海に出た豪華客船タイタニック号。新天地アメリカをめざす画家志望ジャックと上流階級の娘ローズは船上で運命的な出会いを果たす。身分違いの恋を乗り越え強い絆で結ばれていく二人。しかし不沈を誇っていた豪華客船は皮肉な運命に見舞われる。



陽気なアイリッシュ音楽が鳴り響く三等船室で、デカプリオ演じるジャックとローズが心を打ち解け合うシーンに登場します。ローズはアメリカの上流階級の娘、ジャックは貧しいアイルランド移民で画家志望の青年。ジャックはローズに強く惹かれながらも身分違いの恋に踏み込みことに躊躇していました。しかし故郷アイルイランドのビールをローズと飲むうちに、気持ちがほぐれ「今この瞬間を大切に。自分に素直に生きよう」と強く思いはじめます。
ちなみに一等船室でローズが家族と楽しむお酒は高級酒シャンパーニュ。それに対して、三等船室でジャックたちが好むポーターは、市場の荷役(ポーター)が愛飲していたことから名づけられた労働者のビール。ふたつの酒が、二人の身分を対比した演出ともいわれます。



アイルランドではポーターは、増え続けるロンドンからの輸入ビールへの反応として、 1780年代頃最初に醸造された。 ギネスは1790年代にポーターを導入したが、数年間はエール酒も醸造し続けた。
アイルランド(特にダブリン)では、ポーターは「プレイン・ポーター」あるいは単に「プレイン」として知られていた。 これが、フラン・オブライエンの詩「労働者の友 (The Workman's Friend)」の有名なリフレインで言及された飲料である。 さらに、Saw Doctorの歌「Hey Wrap」の中でも言及される。 逆に、特別強いポーターがスタウト・ポーターと呼ばれ、後のスタウトになった。
「プレイン・ポーター」と呼ばれたビールは、今でもダブリンのポーターハウス小規模醸造所で醸造されているが、ギネス・アイリッシュ・ポーターは1970年代の初めに製作されたものが最後となった。
スタウトはポーターとは別の様式に変化した。 しかし、今日なおこの区分けが適切かどうかには多くの討論がある。 通常、あるエール酒がポーターかスタウトかを決める要因は、強さである。 パテント・モルトとして知られる、黒くなるまで焦がした麦芽が1817年に発明されて以降、 アイルランドのビール醸造者は、暗い色と焦げた薫りをビールに与えるための褐色の麦芽の使用をやめ、パテント・モルトと白い麦芽のみを使用した。 一方で、イングランドのビール醸造者はある程度褐色の麦芽を使用し続けたので、イングランドとアイルランドのポーター間に様式の差ができた。 またスタウトは、時々ローストした大麦(発芽していないもの)を使用することがあり、それはコーヒーの風味を加えることができる。


【 タイタニック3D予告編 】


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2012年02月05日

エビスビール

ヱビスビール(ゑ〈え〉びすびーる、恵比寿ビール、戎ビール、YEBISUとも)は、サッポロビール株式会社の麦芽100%のビールのブランド名



サッポロビールの前身である日本麦酒醸造會社に、ドイツ人技師カール・カイザーを招聘して醸造されたビール[1]。当時の名称は「恵比寿麦酒」だった[1]。当初は「大黒天」から命名しようとしていたが、横浜に既に「大黒ビール」が存在したために「えびす」(恵比寿) を採用したという経緯が見られる資料が2000年代に発見されている。
恵比寿麦酒は、1900年代には既に世界的な評価を獲得している。


1943年(昭和18年)にビールが配給制になり、名称が「麦酒」に統一されたことで一旦消滅するが、1971年(昭和46年)に復活した。1980年代前半に低迷期に陥ったが、1986年(昭和61年)にパッケージデザインの変更と中味の生ビール化、1988年(昭和63年)に漫画「美味しんぼ」の「五十年目の味覚(後編)」(単行本第16巻)で取り上げられたことなどが契機となり、売上が回復し伸びていった[2]。長期間に亘りプレミアムビール市場の首位銘柄となっていたが、2000年代中盤にサントリーのプレミアムモルツが急成長した影響を受け、サッポロビールは2006年(平成18年)からヱビスブランドのテコ入れに着手し、同年10月にはヱビスブランド戦略部を立ち上げて「ヱビス」の名を冠した商品を複数販売する展開を始めた。


発売は1890年(明治23年)だが、ラベルに書かれているのは当時の日本麦酒醸造会社が設立された1887年(明治20年)になっていて、戎様を挟んで(左から)「BORN」「1887」と書かれている。
ヱの文字はワ行に属するのにローマ字表記はWEBISUあるいはEBISUではなくYEBISUとヤ行になっているが、これは古いローマ字のつづり方でエ・ヱのどちらもyeとつづることがあった名残である。日本円をYenと表記するのも同じ理由である。かつては江戸をYedoとつづったこともあった。
【 エビスビールwikii 】




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