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2012年03月13日

ラム酒

ラム酒とは、サトウキビを原料として作られる、西インド諸島原産の蒸留酒。サトウキビに含まれる糖を醗酵・蒸留して作られる。スペイン語ではロンと呼ぶ。また、ブラジルのピンガ、日本の黒糖焼酎など、同じサトウキビを原料とする同類系統の蒸留酒が他にも存在することでも知られる。


発祥はバルバドス島とされる。島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumbullion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来だとされる。発祥はプエルトリコ島とする説もあるが、いずれにしても、カリブ海の島が原産ではあるようだ(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場するお酒と言えば、ラムである)。その後、サトウキビ栽培地域の拡大に伴いラムも広まっていき、南北アメリカやアフリカでも作られるようになった。また、他の地域でも、ラムの原酒を輸入して熟成を行った上で出荷するということも行われるようになった。
ラムは、比較的イギリスと関係の深い酒である。かつてイギリス人は、ラムのことを「憩いの水」とも呼んでいた。これは、1609年にジョージ・サマーという者の船がバミューダ島に向かっていた折、ハリケーンに遭い難破しそうになるということがあり、この時、船の乗組員は死の恐怖に直面したが、ラムを飲んで心の平穏を保ったことに由来するという。



18世紀になるとラムはイギリス海軍の支給品となった。当時の軍艦の動力である、蒸気機関のボイラー室のような火を扱う場所で働く者が、高い室温に負けないようにするためにラムを飲ませていたと言われる。したがって、イギリス海軍の全ての軍艦に、ラムを入れた樽が積載されていた。当初はラムをストレートで与えていたが、ラムは強い酒だったため、1742年にエドワード・バーノンという提督が、ラムと水を等量ずつ混合して作った水割りのラムを支給するように命令した。当初、この薄いラムは部下達に不評であった。部下たちは、この薄いラムのことを、グログラム(グロッグラム)という生地で出来たコートを着ていたバーノン提督のあだ名から、ある種の恨みを込めて「グロッグ」と呼ぶようになった。しかし、18世紀末ころまでには、むしろグロッグの方が好まれるようになったと言われている[4]。なお、2010年現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれる。また、泥酔することをグロッギーと言うが、日本で使われるグロッキーという言葉は、このグロッギーが訛化したものである。



ラムには色による分類と、香りの強さによる分類と、原料による分類が有る。
色による分類
ホワイト・ラム(無色)、ゴールド・ラム(薄い褐色)、ダーク・ラム(濃い褐色)
風味による分類
ライト・ラム(軽い芳香)、ミディアム・ラム(中間的な香)、ヘビー・ラム(強い芳香)
原料による分類
インダストリアル・ラム(工業ラム) - 廃糖蜜を原料としたもの。
アグリコール・ラム(農業ラム) - サトウキビの搾り汁から直接製造したもの。
なお、香辛料などで香り付けを行った、スパイスド・ラムと言うものもある。
【ラムwiki】




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Posted by hidesun716 at 20:15Comments(0)Cocktail

2012年03月11日

ウォッカ

ウォッカは、ロシアやポーランド、ウクライナなど東欧・旧ソ連圏で製造されている蒸留酒。


【 歴史 】
12世紀ごろからロシアの地酒として飲まれるようになったといわれているが、11世紀のポーランドで飲まれていたとする説もあり、詳細な起源は不明である。
14世紀のポーランドではウォッカで食器などを消毒したり腋や足などを消臭する習慣があった。このことは1405年のポーランド王国の宮廷の記録に残っている。アルコールで消毒や消臭をする習慣はアラビアからポーランドへの陸上交易によって伝わったものとされる。
1794年に白樺の活性炭でウォッカを濾過する製法が開発され、それ以降ウォッカは「クセの少ない酒」という個性を確立する。
1917年のロシア革命により、モスクワのウォッカ製造会社の社長ウラジーミル・スミルノフがフランスに亡命し、亡命先のパリでロシア国外では初めてウォッカの製造販売を始めた。このスミルノフの工場に1933年、ロシアからアメリカに亡命していたルドルフ・クネットが訪れた。クネットはアメリカとカナダにおけるスミノフ・ウォッカの製造権と商標権を買い取って帰国。以後、アメリカ産ウォッカの製造が始まり、アメリカは世界屈指のウォッカ消費国となる。
ソビエト連邦時代は経済の停滞・言論の不自由の不満から多数の国民がウォッカ中毒に陥った。そのためミハイル・ゴルバチョフがペレストロイカの一環でウォッカの製造を削減した。しかし国民はウォッカを求め自宅で密造をしたため効果はなかった。それどころか貴重な税収である酒税が落ち込んだことでソ連は財政難に陥った。またウォッカを密造するには砂糖が必要なため多くの商店が砂糖不足になった。
日本で初めてウォッカを製造・販売したのは、ロシア系亡命ユダヤ人のミハエル・コーガンが創業した太東貿易である。ただし同業他社が登場したのですぐ撤退、その後は輸入やアミューズメント事業に方針転換、現在はゲーム会社のタイトーとなっている。



日本の酒税法上はスピリッツに分類される。大麦、小麦、ライ麦、ジャガイモなど穀物を原材料とし、蒸留後、白樺の炭で濾過して作る。このため、一般に無味無臭無色である。ただし、フレーバー(フレーバード、フレイバード)・ウォッカのように、香味が付けられているものも存在する。
ヴォトカ、ウォトカ、ウォツカ、ウオッカとも表記される。なお、ウォッカの読みは日本における慣用とされ、むしろ原語発音に近いヴォトカ、ウォトカないしウォツカに修正される方向にある。
成分は、ほとんどが水とエタノールであるため癖が少ない。このため、本来ウォッカを常飲していたロシア・東欧圏以外では、カクテルの材料の1つとして他の飲料と混ぜて飲むことが多い。一方、ロシア・東欧圏では「混ぜ物をしてウォッカを飲む」ということは邪道と目されている。スラブ諸語においては、ウォッカは「水 (вода) 」から派生した名詞である。
また、アルコール度数98%のウォッカも存在していたが現在は作られていない(96%のスピリタスウォッカは現在も販売中)。
ウォッカとは、ロシアなどでは単に「蒸留酒」を表す一般名詞であり、ロシアの少数民族で飲まれていたような蒸留酒も、ロシア語ではすべて「ウォッカ」と区分されている。





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Posted by hidesun716 at 19:02Comments(0)Cocktail

2012年03月04日

ジン (蒸留酒)

ジン(英語:Gin)とは、大麦、ライ麦、ジャガイモなどを原料とした蒸留酒。ジュニパーベリーの上に流すことによって香り付けがされているのが特徴的。日本の酒税法上はスピリッツに分類される。そのまま飲むだけでなく、カクテルの材料としてもよく使われる。


11世紀頃にイタリアの修道士がジェニパーベリーを主体としたスピリッツを作っていた記録があるのが発祥とされる説が現在は有力。
1660年、オランダのライデン大学の医学部教授、フランシスクス・シルヴィウスが作った解熱・利尿用薬用酒、ジェネヴァ (Jenever) がその起源。しかし、普通に飲んでも美味なため一般化していった。
1689年、オランダの貴族であったオレンジ公ウイリアム(ウィリアム3世)がイングランド国王として迎えられた際にこの酒もイギリスに持ち込まれ、人気を博するようになった。その際、名前も短くジンと呼ばれるようになった。


19世紀半ばに連続式蒸留器が発明されると、これまでより飛躍的に雑味が少なく、度数の高いスピリッツが蒸留できるようになり、ジンの製法も大きく様変わりした。原料自体は大きく変わらないが、まず連続式蒸留器でアルコール度数の高いスピリッツを作り、そこにジュニパーベリーなどの副材料を加えて単式蒸留する。これが現在主流であるドライ・ジン(Dry Gin,「ロンドン・ジン」とも呼ばれる)である。



19世紀以前のジンは、「労働者の酒」というイメージがあり、貴族の飲む酒ではないとされ、婿の出費会計書に「ジン」の名が入っていたことを知った親が婚約を解消したという逸話があるほどであるが、20世紀にはカクテルベースとして一般になり、名門貴族の出であるウィンストン・チャーチルなどは、ほとんどストレートのジンに近いマティーニを愛飲していたという。



ドライ・ジン
ロンドン・ジン、イングリッシュ・ジンなどとも呼ばれイギリス、ロンドンが主産地。
ジェネヴァ
現在でもオランダで作られている、より原型に近いジン。オランダ・ジンとも呼ばれる。原料を糖化、醸造した液体に副材料を加え、単式蒸留する。
シュタインヘーガー
生のジュニパーベリーを発酵して作られる、ドイツ産のジン。ドライ・ジンよりは控え目な風味を持つ。
オールド・トム・ジン(Old Tom Gin)
ドライ・ジンが作られるようになる以前、雑味を抑えるために砂糖を加えたジン。カクテルのトム・コリンズは本来このジンを材料とする。


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Posted by hidesun716 at 21:09Comments(0)Cocktail

2011年12月28日

カクテル(Cocktail)Ⅱ

「シェイク」と言うカクテルの基本技法についてご紹介します。


「シェイク」とは、よくテレビなどで見かける、シェーカーに氷と材料を入れて、強く振り混ぜ合わせる技法のことです。シェイクすることにより、混ぜ合わせにくい材料をすばやく混合させたり、アルコール度の高いお酒を飲みやすくしたりするのに効果的なのです。まず、氷と材料をシェーカーの8~9分目ぐらいまで入れ、ストレナーとトップをかぶせます。シェイクしている最中に、材料が出ないように、真っ直ぐにきちんと蓋をはめましょう。早く好みの冷たさになるように、シェーカーをすばやく振ってください。



右利きの場合のシェーカーの持ち方を説明します。

トップを手前に持ち、右手の親指で押さえ、ボディーを薬指と小指の間に挟みます。人差し指と中指はボディーに添えて支えます。左手の中指と薬指の第一関節まで、ボディーの底にまわします。親指は、ストレナーを押さえて、ボディーを人差し指と薬指で軽く挟みます。手を必要以上にシェーカーに密着させておくと、手の熱がシェーカーに伝わって、氷を溶けやすくしてしまうのでご注意ください。
シェーカーは、肩と胸の中間辺りの、身体の正面より少し左側の位置で、真横から見たときに水平になるように持ちましょう。
15~16回程シェイクしましょう。ただし、卵や生クリームなどの材料の場合は混ぜにくいので、30回ほどシェイクしてください。
シェーカーの表面に霜のようなものが付き、シェーカーを持つ指先が冷たくなってきたら、トップを外し、人差し指でストレナーを押さえながら、グラスに注ぎます。



「ステア」と言うカクテルの基本技法についてご紹介します。
「ステア」とは、氷と材料をミキシング・グラスに入れ、バー・スプーンで、素早くかき混ぜて作る技法です。風味がドライなカクテルを味わいたい場合や、混ぜ合わせるお酒の比重が同じくらいの場合や、シェイクすると濁ってしまう場合に使われる技法です。

右利きの場合のステアの手順を説明します。

ステアをバー・スプーンを使って行う場合は、ミキシング・グラスの下の部分を片方の手で押さえておきます。少量の材料で、カクテル1杯分を作る場合は、小指をミキシング・グラスの下に入れ、混ぜやすくする方法などもあります。ステアをしてすぐに注げるように、最初にグラスの注ぎ口は、左に向けておきましょう。氷と材料をミキシング・グラスに入れ、ミキシング・グラスの内側にバー・スプーンを、そわせるようにして、すばやく回転します。15~20回ほど回転させるのが目安ですが、時間をかけすぎてしまうと氷が溶け出し、カクテルが水っぽくなってしまうので、加減に気をつけましょう。ステアし終わったら、バー・スプーンを置き、ストレナーをミキシング・グラスにはめ、グラスに注ぎます。その時は、ミキシング・グラスの突起を人差し指で押さえ、ストレナーがグラスから外れないようにします。左手をグラスの下部に添えて、グラスを支えるようにしながら注ぎます。

【 ハートカクテル vol.61 分厚い本を読むカンキョウ 】


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Posted by hidesun716 at 21:07Comments(0)Cocktail

2011年12月24日

カクテル(Cocktail)Ⅰ

カクテル (英語: Cocktail) とは、ベース(基酒)となる酒に、他の酒またはジュースなどを混ぜて作るアルコール飲料のこと。混酒。


古代エジプトでは、生姜や蜂蜜をビールに混ぜて飲んでいましたし、古代ローマでは、ワインに何かしらを混ぜて飲んでいたようです。そして12世紀~17世紀のヨーロッパ諸国では、ワインやスピリッツ類に薬草を入れ、暖めて飲むのが流行したそうです。
ヴァン・ショーと呼ばれる赤ワインにシナモン、オレンジピール、蜂蜜を入れて温める飲み物は、今でも冬の定番カクテルとして飲まれています。そして、蒸留酒の技術が進歩して行き世に広がり始めると、社交界などでも好んでカクテルが飲まれるようになりました。ですが、この頃は、湖や川などに張った氷をカクテル用に使用していました。
その後1879年に製氷機が発明されると、現代式のミクスト・ドリンクのカクテルが登場してきました。
カクテルは先ずアメリカで大流行し、その後第一次世界大戦とともに、世界に広がりました。
第二次世界大戦が終盤を迎える頃には、ヨーロッパにも飛躍的に広がりをみせました。

日本には明治初期に入ってきて、大正時代になると東京の下町にBARが出現しカクテルという名前が浸透していきました。



【 カクテルの語源 】
ロンドンで1948年に出版された「ザ・スクァイア/レシピーズ」という小冊子で「CockTail(カクテル)」という言葉が初めて登場したと言われています。カクテルの語源はいろいろな説がありますが、その中でも有力なのが次の3つの説になります。

●米国独立戦争の最中、ニューヨーク市北にあるイギリス植民地にあるバーでの出来事です。そこの女主人は、反独立派の大地主が住んでいる邸宅から雄鳥を盗み、ローストチキンを作り、独立軍の兵士に提供しました。その時、ミクストした酒の入っていたビンの中に、雄鳥の尻尾を差していました。それを見た独立軍の兵士は、その雄鳥の正体がわかり、「カクテルばんざい」と叫びました。このことからミクストした酒のことを「カクテル」と呼ぶようになったというものです。

●「カンペチュ」と言う、メキシコのユカタン半島の町にある酒場であった出来事です。バーテンダーの少年は、雄鳥の尻尾に似ている形をした木の枝で、ミクスト・ドリンクを作っていました。あるイギリス人がそれを見て、「何ですかそれは?」と聞きましたが、少年は言葉がわからなかったので、勘違いをして枝の呼び方の「コーラ・デ・カジョ」と答えました。そして、これをそのまま英語に訳した「Tailof Cock」が、今の「CockTail」に変化したというものです。

●ニューオーリンズで開店した薬局のヒット商品は、病人用のラムベースの卵酒でした。そしてフランス人は、その飲み物を「コクチェ」と呼ぶようになり、病人だけでなく、一般の人たちの間でも愛好者が増えていきました。その後、コクチェのような混ぜ物をした飲み物の事を「コクテール」と呼ぶようになったというものです。



【 ハートカクテル(ノックをしなかったサンタクロース) 】 動画時間 2:51
  


Posted by hidesun716 at 16:10Comments(0)Cocktail